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乳がん発覚から針生検まで


40歳目前だし健康診断の機会もあるし、めんどくさいけど行っておこう。

小さい頃から大病なんてしたことのない私。

まぁどうせ何も出ないだろうけど。


10月末、朝もはよから近所の大きい病院に検診へ行き、一通りの検査を済ませた後、診察へ。


担当医は近所に住んでいそうな気さくで感じの良いおばちゃま女医。

女性特有の胸に異常などはないかなど身体を総合して診てくれた。


私は中学生の頃からだと思うが、右胸の中に大きめの塊がある。

そして最近は右胸の形がいびつに変化し、ズキズキと刺すような痛みも出ていた。


見た目を具体的に言うと、右胸中央に脂肪がなくなり、骨が浮き出ている。

最近、体脂肪率をだいぶ減らしたから、更に胸もなくなっちゃったのかなぁ・・位に軽くしか考えていなかった。


おばちゃま女医に右胸を診てもらい、脇にしこりがあるかどうかも触診してもらう。

私のいびつになってしまった右胸を見て「あらぁ・・・これは・・確かに形も変化しているし、堅いわねぇ・・脇にしこりはないから癌ではないけど、紹介状を書くから大きな病院へ行って精密検査してもらってね。」


この塊の存在を認識し始めた当時も不安に思い、母親に付き添われて病院へ行ったことがあったが、当時の医師の見立てでは、成長期の一環として病名すら付かなかった。

その頃より私の胸は年中硬いと諦め、その後は硬い胸と共に大人になっていった。


30代前半になり、やはりこの硬い胸が気になり近所の乳腺外科へ行く。

一通りの検査(マンモ・エコー)をしても、やはり問題なし。

やっぱりね~~、きっと私の胸の個性なのね~と諦める事二回目。


この時の担当男性医師の事を今でも記憶しているが、症状について聞くとキレるタイプで、

「だぁぁからぁ!!病気じゃないって言ってんの!はぁ?だからぁ・・」とエンドレス。


当時の私は、先生と名の付く方の言う事は絶対であり、素直に従えという昔ながらの気質を親から受け継いでいたので、医師に楯突くことも出来ず、更にわるい事に「この胸は病気ではないから病院に行ったら迷惑なのだ」と強く思い、自己完了してしまった事。


おばちゃま女医に書いてもらった書状と検査結果(エコー画像のCDR)を持って市大病院へ予約を取り、二週間後に精密検査へ行く。


大病院ですからね、全ての検査はひたすら待ちます。

とにかく待ちます。ずっと待ちます。待ちますよ、ええ私の名前は真知子ですもの。


市大病院でもマンモ・エコーの検査。

初めはエコー検査から。

技師さんが右胸をじーーーーっくりと時間をかけて検査していた。

乳腺炎でもこじらせているのかなぁ・・・とのんきに構え、上半身裸で寒さに震えながら終わるのを待っていた。


マンモグラフィーの検査とは、胸を万力のような機械で限界まで潰して検査する鬼のような機械。

女性ならおわかり頂けると思うが、柔らかい胸の持ち主でも強烈に痛い。

私は前述の通り、右胸内部に石があり指で少し強く押しただけでも激痛が走る。

機械で潰されたら絶叫してしまうだろう。

そんな私は怯えながら技師さんにその事を伝えると、痛くない程度に調節して検査してくれた。

言ってみるものだ。


採血も終わって、後は医師の診察待ち。


・・・・・・・。



待ち時間は英語の勉強をしていたので、かなり有意義に過ごせたが。

しかし、有意義にも集中力にも限界ってのがある。

ひたすら待った後、くたびれた状態で医師の診察開始。

きっと前回のキレた医者と同じく、病名すら教えて貰えず帰るのかなぁ・・・

来た意味なさそうと元気のない私。


診察室を開けると、そこには担当医師の若い男性が座っていた。

感じは良さそう。これだけでもホッとするもの。


マンモ・エコーの画像が貼り出してあるけど、もちろん私には見てもよく分からない。

この時は「今回こそ乳腺炎なのか線維腺腫なのか病名を付けて貰おう!前回の様に、うやむやにされないぞ!」と固い決心を硬い胸に誓っていた。


若い男性医師の前にある患者用の椅子に促され、私は真面目な顔つきで

「よろしくお願いいたします」と頭を下げる。

医師は笑顔とも真顔とも取れない医者特有の表情で迎え入れる。


マンモ・エコーの画像を説明し始める医師。

ここが筋肉で・・

ここが脂肪・・

ここが・・・・

じっくり胸組織を教えてくれる男性医師。

組織の説明ばかりで、どうもさっきから核心に触れず口ごもっている・・

「・・で、何なのですか?(乳腺炎って早く診断してここから出してよ)」

それでも口ごもり、「今日ご家族はご一緒ですか?」と。


あれ?



これってまさかドラマの台詞でよく聞く、病名告知時のシーン?



「今日は一人です。どうせたいした事はないと思っていたので・・。で、何・・でしょうか?」

嫌な予感がバリバリと音を立ててやってくる。


断言は避けていたが、医師は乳癌でしょうと言いづらそうに口を開いた。

ドキっとはしたが、不思議な事に至って普通の心境だった。


あ、私ガンなのか・・・


そういえば問診票に、病名について、どこまで本人が知りたいかを問う記入欄があったなぁ。


私はどんな大きな病気でも、余命幾ばくもない状態でも、全て知りたいと書いたけど、先生はやはり気を遣っているのね、断言しないで私の様子を伺っているわね・・

そうよね、ここで取り乱す人は多いはず・・・。

とボンヤリ考えていた。


「え・・・あ、そうなんですか・・・」


癌になった人は皆、まさか自分がと思うと聞くが、わたしも正にそう思った。

まさか私が?


「今日これから細胞を採って、病理検査に出してMRIとCTで更に詳しく検査をしましょう」

担当医師は今後の流れを説明し始めた。

自分でも驚くが全く取り乱す事もなく、至極冷静にメモを取りながら聞いていたと思う。



医師がMRIとCTの予約を取るために内線で電話をし始めた。

「緊急を要する患者さんなので・・ええ、一番早い予約を・・・」


なに??緊急??


特別扱い、最短での予約が完了した。

どうやら私はよろしくない状態にある事はこの時点で解った。


次は細胞を採る為に隣の部屋のベッドへ移動。

針生検という検査法らしい。

医師が組織を採る注射器を私に見せる。

注射器の先がシャーペンの先ほどの太さがある物で、右胸のしこりの部分に刺し、組織の一部を3回採るという。


私は実は注射が苦手。

いや、苦手ではない、超絶恐ろしい。

どんな血液検査でも貧血起こして目を回し、毎回看護婦さんに迷惑をかける。

このシャーペンで胸を刺す??

3回?

本気で言っているのかしら。

私は虫が囁いているかのごとき小さな声で、注射で貧血を起こすと涙目で伝える。

ガン告知された時の冷静だった私は消え去り、注射に怯え震える私。


「注射器の中にバネが入っていて、バチンという音がします」

表面麻酔をしながら説明を続ける。

「痛かったら必ず我慢しないで教えてください」

病院で我慢したらダメですよ、と心強い言葉を貰う。



一投目

バチンッ!!!

気絶しそうな不快感。

私は痛みにとても弱い。

辛すぎて声も出ない。

心の中で、早くその針を抜いて!!と絶叫。


二投目

バチンッ

涙が滲む。

怖すぎて叫び声も出ない。

意識が遠のいて行く。

このままだと人生初の完全気絶まであと少しと気づいた私は先生に、

「・・・・先生、この病気にかかった人は、全員こんな辛い思いをしているのですか?」

小さな小さな声で話しかけてみる。

「そうですよ。皆さん辛い思いをされています。ですが今、一番辛いのはあなたですよ」

優しい声で労ってくれる。

辛い時は、人の言葉にどれだけ助けられるか強く実感した。


三投目

バチンッ

「終わりましたよ」

ゆっくりと針が抜かれていく。


表面麻酔の効果で細胞を採っている時に痛みはないが、痛みに似た強烈な不快感。

その不快感との解放と安堵を味わいつつ、この辛い検査は序章で、今後はもっと大変な思いを毎回するのだと、それだけ大変な病気なのだと身体が理解した。


看護婦さんが脱脂綿を強く押しつけ止血をし始める。

痛みに弱い、弱虫な私を優しく笑顔で労ってくれる。

そして何重にもテーピングをされ、針生検終了。


三日後にCT、一週間後にMRI、二週間後に心電図と医師の問診というスケジュール。

ちょうどステージの仕事が入っていない日程。

今までは全て仕事優先だった私だが、今後は全て治療優先にしようと決めた瞬間だった。


病院滞在時間六時間半。


痛い胸を押さえ、高いお会計を済ませ、こんなことならタクシーで来れば良かったと寒い秋の夕暮れの中、一人駐車場へ向かった。


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